チラシの裏

読み物のはなし

先日、NHKで震災の被災地で図書館が再開したという話題を報じていた。

そのときに、本を借りに訪れていた年配の男性が、こんなコメントを述べていた。

             ありがたいよ。
        この齢になるとね、本は滋養になる。

なんでもないこの言葉が、ここ数日ずーっとひっかかっている。

       本が滋養になるってどういう感じだろう…

理屈で理解はできるけれど、それよりもっともっと奥深いものを感じる…

そして、マクラについている“この齢になると”が余計に気になる。
どういう世界観なのだろうか…

何かすごく大切なことを言われているような気がするのだ。
自分に大きく欠落したものを教えられているような気もしてくる。

ここ数年忙しすぎて、頭の中がいっぱいすぎて、
活字を読むことは負担だった。
本は、滋養どころか、
単に必要最低限のエネルギーを摂る程度の読み方しかしていなかったことに、
今更ながら気付かされる。

時間に追われて“ながら”で早食い、さもなくば、疲れて食べながら眠ってしまう…
味わう余裕のない食事をしてきたここ数年の自分を振り返る。

       なんて心の貧しい時間を過ごしてきたのだろうか…

自分が発する言葉も、他人の滋養になるような発し方をしていなかったのではないかと、
あらためて振り返る。

あたたかい初夏のやさしい雨のような、
じっくりしみこんで後味が悪くないような、
それでいて元気が出るような…

確かに、そういうものは、
味わって心で読む書物なのかもしれないなぁ…。
鈍くなった“心のベロ”を活性化させて、充分味わって読む時間を摂らねば…。

        あぁ…しみじみ…
             しみじみ、そう思う…。

人生折り返し地点…
普通に、いい齢のとりかたをしたいものだ…。

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