猫のいる生活

クロちゃんが好きだった理由

捜索で現地滞在中、
ぴりかの最初の保護主さんが現地を訪問して下さいました。

そのとき、
ぴりかが保護に至る前の様子を初めて聴きました。

保護の2シーズン前に、既に一度、
子連れで保護主さん宅を訪れていたのだそうです。
ガリガリに痩せていたことや、
飢えて執拗に食べ物を要求した様子などを聴きました。

少しほっとしたのと同時に、再会の希望が持てました。

そして・・・
昨年の秋頃からたまに姿を見せるようになった子猫のクロちゃんを見て、
ぴりかが、
それまで見せたことのないソワソワした様子をみせたり、
それまで出したことのないやさしい声を出したりしていたことの
理由を知ることができました。
この春先は、窓辺でクロちゃんを待っているようでもありました。

         よく来る雄猫は威嚇するのに、
         クロちゃんは好きなんだね・・・

そんなふうに思ってみていました。

保護主さんの話をうかがって、
彼女は、母親の記憶を残しているのだなと思いました。
そして、野生のスイッチが一度入ったことがあるのなら、
自分の体を維持していくことにもある程度までは耐えられると、
彼女の生命力を信じることができるようになりました。

不思議ですが、ちょうど先週、
偶然にも猫のお産の記録動画を見たばかりでした。
“ぴりかはこういう経験をすることが無いのだな・・・”と
複雑な思いを抱えながら見ました。
この一年、
ぴりかがどことなく野生の香りを残している様子を見ながら、
時折・・・

         自然の中で暮らしていたら、
         どんな一生を過ごしたのだろう

と考えていたのです。

でも・・・
生命力を思いっきり使って、
与えられた命を懸命に生きた記憶があるということを知り、
少しほっとしました。

もちろん、人が捨てたゴミが落ちているのを見ると、
そんなものもありがたいと思うほどの生活をしているのだろうかと、
涙が出る毎日ではあるのですが・・・。
何と言いましょうか・・・、思いはとても複雑です。

ぴりかが離れてしまってからというもの、
種の異なる里親について、ずっと考えていました。

ぴりかが居なくなった直後、自分が猫でなかったばっかりに、
一番大事な“捕食”を教えられなかったことの意味を考え、
ぴりかは死んでしまうのではないかと不安になりました。

実は、かなり以前から、家が火事になったときなど
家から出さない体制が逆に命取りになるという危険を思い、
ぞっとすることが度々ありました。
万一この家が危険な場所になったときにどうしたらいいのか、
いや、どうしようもないということなのか・・・
そう考えていました。

家が壊れたりしたときに、
ぴりかが自力で危険を回避できる環境にない、
危険回避をしたとしても、
外で自力で生きられる力を身に着けてやれない・・・
人間が動物にする“保護”は、そういうものなんだなと、
考えさせられながら暮らしていました。

保護と虐待の境目を見るような思いでした。
(私の専門はそこなので、
普通以上に反応するテーマかもしれませんが・・・。)

もちろん、人間中心にできている社会システムの中で、
猫が好き放題の幸せを謳歌することはできません。
だからこその保護なのですが、
“自分がいいことをしているんだ”
“自分は猫を幸せにしているのだ”と信じて疑わないことは
猫に申し訳ないことだと思うこの頃です。

自然な状態で共生できない不幸の上で選択せざるを得なかった、
人工の幸せであることを自覚したいものだと思います。

彼女が帰ってきたら、いろんな話を聴きたいと思います。
きっと、行動が変化していると思うので、
今まで以上に、その意味を理解する努力をしようと思います。

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